日本刀の鑑賞用語に「匂」という言葉があります。『大言海』には、「丹秀で丹色の光る義であり、転じて色艶、艶めく趣で、いきおい光であり、刀の研ぎ清まして生じる艶ある文理をもいう」とあります。丹色(朱色)が美しく映える、薄物を通して下に重ね着をした丹がかすかに映える艶ある趣、気色、気韻です。
この「匂」が、いつごろから用いられるようになったのかというと、室町後期ごろだろうと考えられています。天正十七年(一五八九)の奥書のある『目利之書』や『秘伝抄』に、「にほやか」という表現があり、このころ、にわかに刀剣の鑑賞用語が多彩になったとされています。その後、慶長十二年の黒庵書の『解紛記』には、実に的確に「にほい」を多用しているようです。この書は古活字で印刷された本で、時(ニホヰ)と片仮名を一字に作字しています。他に作学には弘(ヂハダ)議(ニエ)称(タイハイ)などがあります。
黒庵は『解紛記』の中で、「名刀は匂を下に敷いて円らかな沸がつく」と細やかな表現をしています。「生駒光忠」も「匂」が主ですが、わずかに細かな「沸」がついています。室町時代以前の鑑定書類には、ほとんど「匂」の言葉を見つけることができませんが、黒庵以後、「匂」「沸」という鑑賞用語が一般化したようでした。「匂」「沸」もマルテンサイトの粒子とされます。ただ「匂」の方が「沸」より粒子が細かいのです。
明治時代に侯爵細川護立が十五歳のころ、ご母堂からいただいたお小遣いで、この「生駒光忠」を買い求めたと伝えられています。
備前刀の一文字派や長船派は、この「匂」を得意としました。特に一文字派の名工の作には、絢澗とした丁子文を艶やかな「匂」で表現しています
日本刀の沸(にえ)について
日本刀の鑑賞用語に、「匂」の対語として「沸」があります。「沸」も「匂」とほぼ同時に、町後期に生まれたとされています。「沸」は「匂」よりも光の粒子が大きく、肉眼でとらえられ、その美しさは「沸」という言葉が生まれる以前から鑑賞されていたようです。
さて、「沸」がよく輝いているのは、相模国鎌倉で鍛えた新藤五国光です。新藤五国光の短刀(重文)は八寸ばかりの刃長ですが、小さな円らな「沸」が見る事が出来るようです。
さて、名工正宗の沸は、沸の織りなす綾、強弱、濃淡にリズム感があり、躍動的です。『解紛記』の中で黒庵は、「沸・匂に品位あり」として、「上作の沸はことごとく燃え立つような匂の内よりいづる」と述べています。「その濃淡は雪のむら消えの如し」とも表現しています。
城和泉正宗の刀の「沸」には、すさまじさがあります。
実は、日本刀のほとんどに沸は輝いています。しかし、その輝きに違いがあります。その違いは、鉄の質によるところが多いとも考えられています。京都山城の三条宗近の沸は、これまた何とも言えない気品があります。岐阜二呂の南宮神社の三条の太刀(重文)は、天皇の護り刀にふさわしい品格を備えていると伝えられています。
大和国包永の太刀の「沸」は黒く鋭いのです。備前刀は匂出来が多いですが、「沸」が沸き立つように付く太刀もあります。特に古備前と呼ばれる、平安時代から鎌倉時代にかけての太刀には、豊かな「沸」がみられます。
江戸時代の『古今銘尽』などには、「沸」は「鈍」と書かれています。日本刀の鑑賞表現に、「地刃よく働く」という言葉があります。江戸時代以前の刀剣関係の書物には登場しない言葉です。
古刀と新刀を見分けるとき、古刀は刃中に働き、新刀は地へ働くといいます。古刀は刃文の縁より刃先に向かって、「足・葉」があらわれます。沸、匂いずれも刃中から刃先に多様な模様が生じます。新刀は刃中の変化は少なく、地の鏑へ向かって沸が広がります。