南紀重国

初代南紀重国は、江戸初期の紀州藩お抱え刀工である。文殊重国とも称する。大和国の生まれで「大和伝手掻派」の末流とも伝わる。徳川家康に召し抱えられ、駿河国で作刀。

慶長二十年、徳川家康十男・徳川頼宣が紀州に封ぜられると、重国も紀州に移住した。古刀から新刀への過渡期にあたる「慶長新刀」の製作者として 南紀重国は「新刀五鍛冶」に数えられるほどの刀工であった。

江戸時代の格付けでも「良業物」に選出されている。 その後、紀州徳川家の庇護のもと、紀州重国は十一代続いた。

ちなみに四代重国も名工の誉れ高く、徳川幕府八代将軍徳川吉宗上覧のもと「浜御殿」(現在の浜離宮) において作刀した。その功により作刀した刀の茎に「一葉葵紋」を刻むことを許された。

初代紀州重国の刀剣は、大和国、駿河国で作刀したものか、紀州で作刀したものかは、刻銘でそれがわかる。紀州で作刀された刀剣には「於南紀重国造之」「於南紀重国」の銘が刻まれている。