日本刀の刃文について

刃文は鋼と火と水がつくられます。適切な熱し方で、水中に入れた瞬間に鋼の一部が化学変化を起こし、そこに生じたのが「沸」と「匂」と呼ばれるマルテンサイト(鋼の組織の一つ)の結晶体です。この「沸」と「匂」の集合したものが刃文となるのです。その原理を活用して、土の置き方によって刃文の形を自在に変化させ、華やかな「丁子文」や躍動的な「湾れ文」を創ったとされています。

唐の詩人李幡の詩に「吾に昆吾の剣(夏の時代の見吾の国の剣で、玉を切り鉄を削ることができるという名剣)あり、天子の庭に赴かんことを求む。白虹時に玉をきり、紫気夜星を干(おか)す。鍔上芙蓉動き、匝中霜雪明らかなり」とあります。鍔は刃先のことで、刃先が初咲きの芙蓉の花のようだと、「白虹」や「紫気」と呼ばれる宝剣の光彩の美しさを称えています。四天王寺に聖徳太子所用と伝える「丙子楓林剣」が、その書風から中国六朝時代という見方があります。この刀剣は直刃で沸の付いた作です。

わが国では、平安時代に反りのある刀が徐々に誕生し、それを弯刀と呼びますが、この初期弯刀に焼かれた刃文はほとんどが直刃です。平安時代の有名な刀工には三条宗近、伯香安綱、備前友成などがいますが、そのほとんどは直刃で幾分乱れた刃文が混じっています。

鎌倉時代、絢瑚華麗な丁子刃文が備前一文字系の吉房や則房だったと言われています。一文字の刃文に対して、躍動的な湾れの刃文を創りだしたのが相模の正宗とされています。京では古流の直刃があくまでも主流でした。これに、なぜか大和で生まれた互の目の刃文が加わります。山城の直刃、大和の互の目、備前の丁子、相模の湾れ刃などの刃文が組み合わさり、多彩な刃文が繰り広げられたようです。

刀身に置く「土」は秘伝とされています。土の配合と塗り方と焼入れの温度によって、多彩な刃文が生まれます。

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