本阿弥光徳は、本阿弥光悦の従兄弟にあたります。二人はともに桃山時代に刀剣の研磨に携わり、その見識と鑑定により、光徳は豊臣秀吉に、光悦は徳川家康に重用されたと伝えられています。
光徳は、太閤秀吉の側近くにいて刀剣の手入れをし、太閤の所蔵刀の押形をとり記録していたと言われています。その押形の原本は不明ですが、文禄三年(一五九四)に毛利輝元(一五五三~一六二五)に贈った絵図が毛利家に伝わっていたとされています。
それによりますと、毛利本以外に埋忠寿斎が光徳の絵図を模写した絵図もあり、両者に描かれている刀剣は一致するものと異なるものとがあるとのことです。
毛利本の押形ですが、全刀身は紙を当てて輪郭のあたりを付け、刀身からはずして墨で曲線が引かれています。焼き出し・鐙子の形や、丁子・互の目・湾れ・沸・匂などが、墨色の濃淡豊かに画かれています。
また、画かれた刀身は六十五腰、記載は山城・大和・備前・相州・越中・筑前・備後・備中・出羽・伯者の順で選ばれていたようです。
「解紛記』という古活字本の冒頭の前後巻の「三つの心得」の一つに、「刀を見るは、目に心を任すべし。心に目を任すにより見ちがえ多し。その故は、目は正直なれども、意より丈なし。次第なるによって、心のひいきする方へ、目もつれてゆくものなり」とあります。
この古活字本は、刀を見る心得から、入手する際の注意することとして、焼き直しや数ものの見分け方などが実に親切に書かれています。また、この書物のなかには、肝心な専門用語は作字されていて、教わらなければ読めない字があります。
例えば「沸」「匂」「地肌」「体侃」などです。要はカタカナなどを組み合わせて、作っているようです。